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 日本の石に対する考え方は,一言にしていえば,「石にはそれ自体一つの生命が宿っている」ということに尽きると私は思っている.
だから日本の石彫の場合,その彫る石を,彫刻の一つの素材とは考えずに,一ケの生命のある,自分等と同じ生きものである,と考えたようである.
 西欧における石の使用法は,これと対照的である.

 ミケランジェロの有名な言葉に  「そこに石がある. その石の中に人間が隠れている.余分な所を早く取り除いてくれ, そういって石が叫んでいる」

「彫った彫刻を山の上から下の方へころがし落としてやると,余分な出っ張りがとれてしまう,そこで残ったものが,本当に要求している彫刻である.」
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 純然たる立体彫刻としての,石を彫る技術は,残念ながら日本には,勿論伝統もなければ,育ちもしなかった. 浮き彫りの前後左右のせめあいでは,どのようにしても立体彫刻はできないのである.
 
 古代エジプトの大巨像は,どのような方法で作られたものなのであろうか. ギリシヤの大理石像は,そしてミケランジェロの甚だしい作品群はどのようにして作られたのであろうか.

 これらの疑問を解く鍵となる二つの事実を知ることができた.
1: エジプトの巨大な椅像の裏側に,何やら寸法を割り出したような,細い線が彫られているということと,ある石像の両の手が右手ばかりであったこと. 軟らかい石花石膏(アラバスター)でできている彫刻を見たこと.
2: ミケランジェロの小品,12,3センチほどの,実に精巧なロウ彫刻を写真で見たこと.
エジプトの古代石彫刻家は,アラバスターで原型となる小品を作ったのであろう.その原型となる小品をもとに,前後左右 寸法の倍率を掛けて,写しとっていったと思われる.

ミケランジェロは,原石の前に立ち,小品の原型を片手に持ち,今一方の手に筆を持っていて,狙ったところへ写していく. この方法で巨大な原石に墨をつけていったのであろう. その印に従って,荒取り石工がどんどん仕事を進めていった,そしてミケランジェロは気のむいたものから仕上げていったという次第である.
私はギリシャ・ローマ時代の裸体彫刻群も, このような方法で製作されていったと思っている.


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透視法で原型を写す
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