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「民衆美論」  著者   鈴木政夫
           発行所   サン・アート
           発行   平成5年10月1日
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鈴木氏は「日本の石彫」(1969.10.20発行),「わが石彫の風土」
(1980.10.1発行),「石彫春秋」(1984.3.31発行)と三冊の主な著作がある.このHPで,鈴木政夫という題を付け,三冊の著作を読み取りながら,鈴木政夫の仕事(石彫)を裏付けるもの,思い・考えを明らかにしてきた.
 最後の書---いままで生き仕事をしてきたのは,ただこの本
『民衆美論』を書きたいばかりであった(民衆美論P13)---
も前三冊のように読み取って鈴木政夫を裏付けるものを構築してみようとしたが,出来なかった.

 前三冊の発行の時期またその前後は,鈴木政夫が自分の仕事の方向を見つけ,その意味付けを確認しながら盛んに石彫作品を作り続けていった時であった.「民衆美論」を発行した時もその後も盛んに製作活動を続けていったが,「民衆美論」を書き発行を実際に決意した時,(民衆美論は---最後の書---) 自分の仕事を振り返って,仕事の意味付けの書を書こうとしたのではないか.

 鈴木政夫の仕事への取り組みは,80才を超えるまでは真にエネルギッシュで若い時と変わらないものであった. 80才を超えても死の2,3日前まで,鑿を持ち仕事を続けていたが,70才代の後半からは体力が衰えて,思いに力が着いていかなかった. その時期は岡崎市立羽根小学校に創立60周年記念事業の彫刻と門柱を製作した時であり,また 鈴木政夫氏の下職をしていたO氏が病気で休むようになった時でもある.
「民衆美論」は本として読むには,鈴木政夫の彫刻についての考えが作品の裏づけを持って書かれているので,有益である.しかし前三冊と違い,今までの自分の仕事を確認説明する文であり,書かれたことは前三冊にあることなので,新鮮さはない. 前三冊の中にも他の著作にも,同じことは繰り替えされているが,この時期は 石彫製作の面で,常に新しく挑戦していった時であるので,思いを記した文を 作品が超えて行っていた.
 しかし,民衆美論を書き始めた時より,鈴木政夫の石彫の面での新しい挑戦はなくなってしまった.  70才後半まで常に新しい挑戦をしてきた鈴木政夫は 尊敬するほかないが.


 
「民衆美論」を前三冊のように読み取り,再構築することはできない. 鈴木政夫が取り組んできた自分の仕事を どう理解したか どう理解しようとしたかを この本から読むことができる.

 鈴木政夫の 石彫への情熱,そのための学び,節制,は真に尊敬するほかない.

 もし,『愛』『慈悲』があったら  違う人生になっていたかもしれないし,良い 石彫はできなかったかもしれない.
               
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