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「わが石彫人生」  著者   鈴木政夫
            発行所   全日本美術新聞社
            発行   平成7年12月23日
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はじめに(抜粋)

 『日本の石彫』は,私が書いた最初の本である.それ迄見つめてきた,石彫の私流の考え方を書いたわけで,そのつぎが『わが石彫の風土』で,私を石彫に追いやったものは何か,又どのような環境で石を叩いてきたのかを書いた.そのつぎが『石彫春秋』,石を叩いてきた折々の思いを書いたのであった.
  やっとこの頃の作品に いままで話し書いてきたことの裏づけが出てきたように思えるので,その最後の締め括りとして『民衆美論』を書いた.

  人生の大筋の処では違っているとは思わないが,時がたち自分の仕事が進むにつれ,ものを見る角度,又は内容的にも若干の修正が必要だなと思ったりする. 長々と書くのでなく,大切な所だけ拾い集めて一冊とした.
崩壊の美

木内克氏が80才の時,久しぶりにヨーロッパを旅行され あらためて気づかされたこととして,
ギリシャ以来西欧の彫刻の歴史が男性像を主としており,女の表現が弱かったという点がある.  ごく身近なところまで女がない.マイヨールに来てはじめて女らしい女が生まれたといってよい.それでも,まだぼくらの考える女とは違うところがある.
考えてみると,西洋の美術は男っぽく,東洋の美術は女っぽい.仏像をとってみても男っぽくなってよいテーマのものまで女っぽくしている.こう気がついてみると,自分の彫刻がつくづくむつかしいたいへんなところに入りこんでいるということを知った.  と書いている.『定本 木内克作品集』

  ヨーロッパのほとんどの建造物,記念碑,その他一連のものは,完了の時がそのものの完成の日である.そして,完成の日から崩壊は大なり小なり始まるのは当然の事.そして時あってその形がくずれれば元へもどす,修復をして,また完成の姿にする.また別の角度から見ると,崩壊はそのまま崩壊として,その姿を曝す.この二通りが実は判然しているのではなかろうか.


 
日本の庭を考えてみると,石を配置し植物を植付け庭の形が決まった時が完成ではない. 植えた植物は成長もし,枯れる物もある, 剪定し,新しく植え付けることもある. 日本の庭はたえず動き変化している. 動き変化することを前提にして管理している.庭のこの移り変わりに美を見ている.
  崩壊して行くものに,その都度手を差し伸べて,その現にある,あるがままの美を感ずる,という美学である.
ヨーロッパの美学と根本的に違うところである.
               
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目  次

T わが石彫人生
   石彫人生
   私の修正 古代史
   私の宇宙観
U 対 談
   鈴木政夫・松原清
   日本人の心と彫刻
   現代彫刻の行方
   鈴木政夫の石彫
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